陸軍墓地詳細



不明墓碑五百余柱供養碑
 戦前にはあったにもかかわらず、墓地再編などで墓の行方が判らなくなった英霊のための供養碑。
  昭和52年4月 比治山陸軍墓地保存協賛会建立。


明治27・28年戦役陸軍軍人
及び軍属・軍役夫 合葬墓
 碑の裏側には27年9月の戦闘において胸に銃弾を受けながらも責任感から突撃ラッパを吹き続け、 その物語が明治34年以来40年の長きに渡り国定教科書に載せられた事で有名な木口小平氏の御名前も刻んである。
 


歩兵第11連隊慰霊碑
 明治8年広島に創設され、昭和20年8月にシンガポールにて連隊旗を奉焼するまでの間の歩兵第11連隊戦没者2,400余名の英霊を慰める。
  昭和56年5月 生存者及び遺族建立。


大東亜戦争台湾出身戦没者供養碑
 説明板が老化しており詳細は不明。
 


船舶砲兵部隊慰霊碑
 大東亜戦争における戦没船員5千余柱、船舶砲兵部隊将兵8千余柱、乗船将兵30万柱、そして対馬丸乗船沖縄学徒742柱を英霊を慰めている。
 


電信兵慰霊碑
 大正12年、電信第2連隊創設以来、電信兵として各戦役において尊い命を祖国に捧げられた英霊7500余柱の慰霊碑。
  昭和62年9月 電信兵生存者及び遺族一同建立。


広島少年飛行兵の碑
 20歳前後で操縦、通信、整備の任務に当られた昭和9年の1期生から同20年の20期生までの 陸軍少年飛行兵のうち広島県出身の英霊を慰める。墓誌には120余名の御名前が刻んである。
  碑は昭和50年10月、墓誌は平成11年4月 広島少飛会建立。


長江会慰霊碑
 昭和14年〜20年の間に揚子江流域に駐留していた9部隊の元兵士の方々が 、揚子江流域・シベリア・原爆などにより戦傷病死した戦友を霊を慰めるため長江会を結成し建立した慰霊碑。
  平成7年3月 長江会建立。


陸軍船舶工兵部隊慰霊碑
 昭和のはじめに広島城北・白島に創設された船舶工兵第5大隊第3中隊を始まりとする船舶工兵部隊の英霊を慰める。 揮毫は佐藤栄作首相。
  昭和40年 船舶工兵部隊生存者建立。


フランス人兵士の墓
 1900年の義和団の乱鎮圧のために中国に派遣され負傷した100余名のうち、広島での治療の甲斐なく死亡した7名のフランス兵士 の墓。 他国の兵士でも手厚く葬った当時の日本人の心情が偲ばれる。